
また自虐マンガだと思っただろう?――これは違うのだ。

埼玉県はなぜこうもディスられ慣れているのだろうか。そう、これもまた『翔んで埼玉』などに連なる“埼玉ディス”のマンガのひとつである。
だが、たしかに卑屈ではあるが、ただの自虐ギャグマンガではなく、密かに、控えめに、それでいて堂々と埼玉の魅力を発信している。イメージ的には平均Aカップで知られる埼玉県民が、それでも胸を張っているような、そういうある種の凛々しさがある。
卑屈が染み付き、息をするように自虐できる主人公を中心に、そんなことはない、埼玉にもいいところはあるとちょっとポジティブな同級生や、東京から越してきた同級生など、ゆるーーーっとだべっているだけなのだが、それがとても心地よく、いつの間にか埼玉の温かさに包まれているような、そんな体験だ。
強く主張しない。いつの間にか包み込んでくれている。

その心地よさを象徴しているのが第4話だ。
東京から越してきて1ヶ月の東上は、少しシャイなところがあるのだが、友人アグリの家に自分も誘われたのかどうか分からないまま、なんとなくついて歩いていたら神社にお参りすることになり、そこで猫と遊んでいたら、実はその神社がアグリの家だったという、とても自然に、いつの間にか、友達の家にお招きされていたというエピソードである。
ただそれだけの話なのだが、東上がいつの間にか家にお招きされていたように、読者もいつの間にか埼玉にお招きされてしまうのだ。「埼玉っていいじゃん、グイグイこないし、でも歴史とかお菓子とかお祭りとか温泉とか、魅力もいっぱいあるし」と。
確かに“埼玉ディス”なのだが、「どう?埼玉ってダサいでしょう?」という感じが全くしない。キャラクターが全員かなり控えめで、ダサさが自然で、むしろ愛おしい。ああ、埼玉に住みたい。そんな気持ちにさせてくれる作品だ。